全国社会保険労務士会連合会 会員番号 第13920042号
東京都社会保険労務士会台東支部 会員番号 第1312662号
中小企業福祉事業団幹事
東京商工会議所 会員番号 E2316480
社会保険労務士
認定プライバシーコンサルタント(JCPC)
乙種第4類危険物取扱者
マイナンバー実務検定 1 級
(今後、個人情報保護士を取得しマイナンバー管理士を目指します)
大湊浩喜(オオミナト ヒロキ)
会社員時代から人事、総務を担当しておりましたが、いざ顧問社労士としてお客様のお手伝いをしておりますと、遣り甲斐と責任の重さを実感しております。
昭和 37 年 02 月 新潟市中央区生まれ
昭和39年の新潟地震で自衛隊員に抱っこされました。当時の写真は
有るのですが記憶としては無いに等しいです。雪国育ちとボーイスカウトに
所属していたことが今の自分の原点となっています。
昭和 55 年 03 月 県立新潟南高等学校卒業
雨の日も雪の日も、毎朝通学は信濃川沿いの自転車道をひた走り。
一度だけ雪でどうにもならず自転車を預けて学校に辿り着いた思い出が
あります。
昭和 60 年 03 月 青山学院大学経済学部卒業
ツーリングサークルに所属し、バイクと東京プリンスホテルで皿洗い
のアルバイトに明け暮れました。
平成 01 年 03 月 地元石油会社にてGS・経理・総務部に従事した後退職
学卒も皆、最初は現場を経験します。接客の難しさを知りましたし、
冬のガソリンスタンドでの洗車やタイヤ交換はしんどかったです。
社労士になろうと決めたきっかけを与えてくれた会社です。
平成 01 年 04 月 S社会保険労務士事務所に再就職
現職の基礎を学ばさせて頂きました。事務所が終わってからアルバ
イトと資格学校に通う日々が始まりました。
平成 02 年 11 月 社会保険労務士資格取得
官報(合格者氏名が記載されている)を見るまでドキドキでした。
平成 04 年 02 月 渋谷区にて独立開業
平成 21 年 11 月 台東区へ移転、現在に至る
[自宅:横浜市青葉区青葉台]
東急青葉台駅より銀座線稲荷町まで(表参道乗換)通勤しております。
社会保険労務士を目指した理由
大学卒業後、私はUターン就職で新潟の大手石油会社に勤め1年目は現場(GS)、その後3年間は経理をやっておりました。そこで給与計算を鍛えられ社会保険や労働保険等の人事的な仕事を経験し、何か一生を懸けてできる仕事はないかと思っていたのです。
そして前から不思議だったのは、社会保険の届出用紙の下にある社会保険労務士の印を押す欄、これが一体何なのか一生懸命調べました。社会保険労務士という資格があるのを発見した私は、通信教育を申し込み勉強を始めたのです。
ところがサラリーマンの辛いところで残業の続く日々や飲み会や現場の日直で勉強ははかどらず勉強と勉強の間が開き、前回やったところが覚えられないのです。
そして年が変わる頃(昭和63年暮れ)当時の上司が税理士を目指して退職する事が判明。そして私の仕事も納得の行かない仕事に変更されることになり、もう勉強に充てる時間を確保できなくなったのです。
このままでは一生資格は取れないと判断した私は一大決心をし、会社を辞め上京し専門学校に通うのが一番正解だと思ったのです。
そして、なぜ開業することを選択したのかは、先ず自分を試してみたかったこと。
これまでの経験を活かして社会貢献できたらと考えたのです。
このような動機で上京した私は実務の再確認が必要と思い、某社労士事務所の門を叩いたのです。並行して資格専門学校へ通う日々がスタートしました。
趣 味
現在は乗っていないのですが、高校生の頃から自動二輪車にくぎ付けになり大学生
時代はツーリングクラブに所属しておりました。自動車と違うところはよく言われます
が風を感じられること。
主に地方へ長距離ツーリングに出かけた時ですが、気ままにバイクを降りて、道草を
したり、信号待ちで話しかけられたり、とにかく自由であることに魅力を感じました。
雨だけは体力を消耗しますのでつらいです。
その延長で、次第に史跡や遺跡に立ち寄るのが楽しくなり教科書や書籍に書かれて
いる場所に実際に行ってみると、その繁栄していた時代の息吹を感じることができる
のです。
また、ここ数年は行っていませんがスキーです。
初めて行ったのは小学5年生、ボーイスカウトのスキー訓練で越後中里。
学生時代、帰省するときは途中下車してよく行ったものです。
今度は家族でゆっくり正月スキーをして、温泉に入れたら最高だと思っています。
家 族>
平成18年7月4日に待望の子供を授かりました。
なんと双子の男女らしいということが分かり、びっくり。
生まれて1年は妻の実家(狭山市)で養育していましたので私は毎週末通い、日曜
に横浜市の自宅に帰るという生活でしたが、今は小学生。
わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい、の気持ちです。